「あたしおかあさんだから」(作詞:のぶみ)という歌の歌詞が炎上しているそうですね。(引用:Yahoo!ニュース、
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20180205-00081267/) 炎上の理由として母は自己犠牲すべきという考えが押し付けがましく聴こえる部分にあるようです。
わたくしも実際に歌詞を検索してみてみたら、あ~たしかにそのように受け取られかねない歌詞に見えますね~。
歌詞の内容からお母さんたるもの子供のためにおしゃれを諦め、仕事もやめてパートして、生活のすべてを子供に捧げ、趣味もやめむしろ趣味は子供に合わせ・・・
あたしおとうさんなのにビールもやめてないしスマホでゲームもしてるし、あげくの果てには息子をネタにしたブログなんて書いてやがる・・・歌詞の対極にいるような人間で申し訳ない。息子に謝れ!
と、私のような主夫は自己批判して総括すべきでリンチ(笑)されなければならなくなるような内容なのですが、おそらくこれはのぶみさんの伝えたかった内容ではなく、この歌詞のように自己犠牲の精神で育児に向かい合っているお母さんが、ふと疲れたときにエールを送るための歌詞とも受け取れます。
じゃあ、何が誤解を受け炎上しているのでしょうか?
私は歌詞に「おかあさんだから」とつけてしまったところがよくなかったのだと思いました。
この歌詞、「おかあさんだから」を外しても文章としては成立します。(音楽に乗せやすいかは知りませんが。)そうするとこの「わたし」はのぶみさんが創造した1キャラクターとなり、歌詞はそのキャラクターの心情を吐露した歌という感じになり、世のおかあさん、そしてその相方であるおとうさんはうたを客観的な視点で聞くことができ、そのキャラクターの立場に近い育児をされている方は感情移入しやすいと思います。
一方で歌詞に「おかあさんだから」が付いていたとしても上記解釈は可能なものの、おかあさん「というものは」(こうあらねばならない)的な意味合いを強めてしまうきがします。
そうすることで、そこまで自己犠牲感を感じずに(それでもきちんと育児をされている)おかあさんには批判がましく、おとうさんにはおかあさんにばかりやらせていてお前はいいよな、みたいな変な申し訳なさを感じさせてしまう歌詞に聞こえてしまうのかもしれません。
ともあれおかあさんとだからといって、おしゃれを諦める必要はありませんし、今のように働き方が見直されつつある時代にせっかくのキャリアをやめにしてパートタイマーに転職を強要される必要はありませんし、育児をしながら自分の趣味をしたって、創作活動したって、資格勉強したって、大学に通ったっていいと思います。
頑張って無理やりブラック育児せず、無理やり自己犠牲しすぎず、きっとそれでも子供は大きくなるんじゃないでしょうか?

【今日のイクメン育児】
今日の育児日記
posted by 40代にて初育児の主夫 at 11:05|
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